ミー子

ぉぁああおうぅぅ

メモ3つ

3つのメモは相互に無関係です。

 

Chihiro S. 氏の御チャンネルが、去年08月にお上げになってた:

ピアノは細川正彦氏なんだけど、何故か 0'07" の a を ais でお弾きになってる。

 

さいきん続けて「オーバードーズ」の語を目にするのには理由があるんだろうけど判らない。

がんらい私は、例えば「11月になったから『ノヴェンバー・ステップス』または『十一月の霧と菊の彼方から』を貼る」とか、やらない。それは音楽的な営みじゃない。

日曜日の報道ワイドショウ番組で、「お金」が話題になってる時の BGM が「マネー」というタイトルをもつ曲、とか興味ない。

ただ、「オーバードーズ」ときくとラクリモーザ 'Overdose' を思い出すことは私には不可抗力なのです。この曲がこのタイトルをもつことには必然があるのだろうし。

それで思い出したエピソードがある。以下、すべて伝聞なのだけど。

ある方がバンドのライヴの MC で

「カトラ・トゥラーナに『今日の散歩はきりがない』という曲のタイトルがありますが、「今日の」という限定詞を付すまでもなく、散歩とは元来きりのないものです」

の一文を捩じ込んだ。

後日この件についてその方と Chihiro S. 氏とのあいだでやりとりがあって、Chihiro S. 氏によると、「まさにいつもとちがって「今日の」散歩はきりがないの意、つまり「キメてする散歩はきりがない」のだ」とのことだった。

「むろんカトラもラクリモーザも標題バンドではない。タイトルはあとで付ける。たいていの曲は『新曲』と呼ばれていたよ」とも。

 

1'03"~「アーアアウーーー」がイヤーワーム化した。最初出典を思い出せなかったんだけど、ギターが1音聴こえて(記憶の中で)、即座に「'It's No Game' の Fripp だ!」と判った。

いやーしかしかっこいい曲。発表当時、"Low" → ""Heroes"" と来て、→ "Lodger" で煮え切らない思いを抱え込まされることになった聴き手が、これで留飲を下げたんじゃないか?

 

0'47"~ の E → E/D → E/C♯ → D の箇所が、楽想として目醒ましくて、ここだけで1曲分のアイデアになりそうなくらいなのに、サビ前の1か所だけに使うのが、太っ腹で、潔い。

ツイン・ヴォーカルが、単純に3度でハモるとかじゃなくて、サビで、男性のメイン・ヴォーカルに対して、女性ヴォーカルがギタリストと2人でコーラスに回るとか、割り振りの工夫が面白い。

キーボードのいない編成も、潔い。音響体を、ヴォーカルを除けば、ベースとギターだけで作って、響きとしてはタイト、かつアレンジの工夫で豊かに聴かせる。

ヴァースで女声と同じキーのハイトーンで男声が歌い出してびっくりする。石川優子チャゲ「ふたりの愛ランド」と同様に。