……通りに面する右隣は覗き込むとお寺(あいだに1軒お店があった筈な気もしたのだが)。前庭の向こうに本堂。まばらに人(知り合いはいない)。土足で入れる広い空間の、左側の入口の足許真ん中に来訪者の物と思しき荷物が無造作に置かれてる。その右脇を通って入る時、右手に設置された背の高い何かの脚部分に付属する白い敷物が通り道まで出っ張ってて、それを踏まないように避けて、置かれた荷物との間の狭くなってる床面をすり抜ける。入口から見て奥側にご本尊がいらっしゃるイメージだったのに、その真反対側が1メートル高くなったステージ状の段で、その上に高さ2メートルの質感的には白い漆喰の張りぼてに彩色されたような女性の仏像。道教の女神像っぽい。ステージ上方左右に飛天的に置かれた彫像の顔も同じキャラと思しき女性。
以前ここに来た時は、隣接する2つのお寺のうち、もう1つのほうに先にお参りしたのだった。そういえばもう1つのほうのお寺のご本尊は何だっけ?と確認のため行ってみることにする。以前は鄙びた砂利道の坂を上って集落を抜けて、まず右に鋭角に折れてそのお寺に行った。今それをトレースするように歩く。「一旦突っ切って戻って来る(山際の傾斜に敷かれた道がジグザグになる)」的な内容の、寺への道順を折り込んだ民謡の歌詞が聴こえてくる or 脳内に浮かぶ。勾配の無い道は人家の集落に通じてそう。「こっちじゃないな」左に上ってもう一段山側の筋を行く。私はいつのまにか裸足で、ブラウス1枚の薄着。砂利道の痛さよりも見た目のみすぼらしさ場違いさを気にする。さっきのお寺に入る時脱いだんだったか?でも足許の障害物を避けはしたけど土足のままだった筈、と思う。
こちらのお寺は規模が小さい。如何にもお寺然とした建物・門構えではない(内部は購買っぽい)。奥の、歩いて上り下りできる程度の高さのステージで法要。お経を上げ終えたお坊さんが段を降りる時、私は「御用があってお待ちしてたのではない、ご本尊を見るために覗き込んでいたのだ」と示すための機械的な会釈をする。
このお寺の左脇からさっきのお寺に抜けるルートがあった筈だけど、道案内の標識が見当たらない。取り敢えず水辺の茶色く枯れた草原(くさはら)を行くと、「デンマークが勧告ないし命令を出して、このルートを通行禁止にした。信心は大変結構だが、道すがら水に飛び込む者が後を絶たず、見苦しいので」という情報が入る。私はそれに従う行動を取りはしないが、草地に佇んで水面を眺めつつ、脇に並んで一人立つ人の性別を気にし、顔を覗き込む。あごひげがあった。
幾らかの試行錯誤の後、まっすぐな道の行く手、手前の建物を背丈で抜いて黒く聳える「お寺然とした」建物が見える。向かう途中、女性と女児(施設の職員と園児なのか、親子なのか)が同じ方向に向かっていたが途中で右側に逸れる。進むうち、近づいて大きく見えだした手前の建物に隠れて目的のお寺が見えなくなる。見え始めるはずの地点に来ても、お寺は見えない。来た道を戻りつつ、右手に差し渡し5メートルほどの池、ここにも飛び込む者がいるのかな?と思う。お寺といっても付随する業務(ご飯の仕度とか)のための施設が囲んで一体系を成してる筈で、さっきの女性と女児が逸れた先はお寺と無関係の施設ではなかったのかも?と思う。
目的のお寺ではない、味気ない思いをしつつ見上げる建物たち(来るとき右手だった、今引き返してるので左手に見えてる)、でも想像される用途のわりにやけに背の高い建物とか、その屋上に犇めく何かの装置群とか、もそれなりに面白い。歩を進めて角度を変えてみると、装置群を頂くのは鉄塔だった。動画に収めておこう、と思うが、スマホを持って来てない(薄着でポケットが無い)と気付く。
追記 2025年01月14日
もうひとつ思い出した。
2つ目のお寺を出る前に、壁に掛けた布袋的状差しにおみくじがいくつか入ってて、うちひとつを引く。小さく丸っこい紙包み。お寺入口にもおみくじがあったけど、自販機=どのくじを引くかが機械任せだった。こちらのは自分で選べるので引く意味があると思ったのだった。ひとつのつもりがふたつ引いてて、うちひとつを状差しに戻す。未開封だけど中身の上端が見えてて、ふたつは紙の色が濃緑と薄緑の色違い、文の1行目に、ふたつ共通に「イギリス」「ドビュッシー」の文字を含む。