ミー子

ぉぁああおうぅぅ

メモ

岡山市には文化が無い、と智恵子が。

 

本買うの十数年ぶり。

『音楽現代』が、しかし地元の本屋さんに無かったので、岡山駅まで2駅*1乗って、紀伊國屋書店に向かった。「ちょっと歩くけど。駅近の大きめの本屋さんでいいんだけど。折角なら「全ての本が揃ってる」紀伊國屋まで」くらいの気持ち。

現場に辿り着いてみると、あれっ? ビルの中のワンフロアだった。あれっ?

岡山市紀伊國屋って、ビル1個全部紀伊國屋みたいな、6フロアくらいあるような、じゃなかったっけ?

そしてまさかの、『音楽現代』は、「当店では扱いの無い雑誌」だそうで。

あと丸善と、スマホで「大型書店」を検索して未来屋と TSUTAYA を回るも、全滅。TSUTAYA は一刻も早く退散したい空間だった。

世界がすっかりまがい物になってた。ここまで壊滅してたとは。

ちょうど日本共産党さんがパレスチナ支援の募金を集めてらっしゃるところに行き合わせた。今回私はこのためにお出掛けしたのだと思う。ビックカメラでイアフォンの予備を調達したし。

けっきょく最初の地元の本屋さんで注文した。6日目に入荷。これ、岡山市に入って来た最初の、唯一の『音楽現代』、ということにならないか?

 

最初に言ったとおり、私自身が十数年、本を買ってなかった。壊滅は私のせいだ。

*1:山陽本線の2駅は、8分です。西小山から渋谷に出るくらいの気持ちの負荷。

メモ3つ

3つのメモは相互に無関係です。

 

Chihiro S. 氏の御チャンネルが、去年08月にお上げになってた:

ピアノは細川正彦氏なんだけど、何故か 0'07" の a を ais でお弾きになってる。

 

さいきん続けて「オーバードーズ」の語を目にするのには理由があるんだろうけど判らない。

がんらい私は、例えば「11月になったから『ノヴェンバー・ステップス』または『十一月の霧と菊の彼方から』を貼る」とか、やらない。それは音楽的な営みじゃない。

日曜日の報道ワイドショウ番組で、「お金」が話題になってる時の BGM が「マネー」というタイトルをもつ曲、とか興味ない。

ただ、「オーバードーズ」ときくとラクリモーザ 'Overdose' を思い出すことは私には不可抗力なのです。この曲がこのタイトルをもつことには必然があるのだろうし。

それで思い出したエピソードがある。以下、すべて伝聞なのだけど。

ある方がバンドのライヴの MC で

「カトラ・トゥラーナに『今日の散歩はきりがない』という曲のタイトルがありますが、「今日の」という限定詞を付すまでもなく、散歩とは元来きりのないものです」

の一文を捩じ込んだ。

後日この件についてその方と Chihiro S. 氏とのあいだでやりとりがあって、Chihiro S. 氏によると、「まさにいつもとちがって「今日の」散歩はきりがないの意、つまり「キメてする散歩はきりがない」のだ」とのことだった。

「むろんカトラもラクリモーザも標題バンドではない。タイトルはあとで付ける。たいていの曲は『新曲』と呼ばれていたよ」とも。

 

1'03"~「アーアアウーーー」がイヤーワーム化した。最初出典を思い出せなかったんだけど、ギターが1音聴こえて(記憶の中で)、即座に「'It's No Game' の Fripp だ!」と判った。

いやーしかしかっこいい曲。発表当時、"Low" → ""Heroes"" と来て、→ "Lodger" で煮え切らない思いを抱え込まされることになった聴き手が、これで留飲を下げたんじゃないか?

 

0'47"~ の E → E/D → E/C♯ → D の箇所が、楽想として目醒ましくて、ここだけで1曲分のアイデアになりそうなくらいなのに、サビ前の1か所だけに使うのが、太っ腹で、潔い。

ツイン・ヴォーカルが、単純に3度でハモるとかじゃなくて、サビで、男性のメイン・ヴォーカルに対して、女性ヴォーカルがギタリストと2人でコーラスに回るとか、割り振りの工夫が面白い。

キーボードのいない編成も、潔い。音響体を、ヴォーカルを除けば、ベースとギターだけで作って、響きとしてはタイト、かつアレンジの工夫で豊かに聴かせる。

ヴァースで女声と同じキーのハイトーンで男声が歌い出してびっくりする。石川優子チャゲ「ふたりの愛ランド」と同様に。

French Frith Kaiser Thompson

こぢゃ (id:pojama) 氏からご教示頂き、その存在を思い出した、French Frith Kaiser Thompson。

 

1st. アルバム "Live, Love, Larf & Loaf"(1987年)から 'Killerman Gold Posse'。

Thompson 曲。

シニカルな感じが、私の思うプログレの一典型なのだった。

 

'Bird In God's Garden*1 / Lost And Found' は、①Hakim Conrad Archuletta の曲 'Bird In God's Garden' と、②Frith 曲 'Lost And Found' が、①②①②の順番で出て来る構成。

Frith のドキュメンタリー・フィルム "Step Across The Border"(1990年)の中に、この 'Lost And Found' のメロを、Frith が Iva Bittová に教えるシーンがある。Bittová が複雑なメロをヴァイオリンで弾くのに少し難渋してる。

Bittová は 1'17" から:

 

French Frith Kaiser Thompson は、John French、Fred Frith、Henry Kaiser、Richard Thompson のバンドで、2枚のアルバム、

Live, Love, Larf & Loaf(Rhino Records、1987年)

Invisible Means(Demon Records、1990年)

がある。

*1:貼ったつべの曲名が間違って 'Bird In The Garden' になってる。French - Topic のつべ。

メモ(イヤーワーム)

よしなしごとを2つ。

 

sheyeye records さんのこちらの御ページ

の3つの試聴を聴いたのち、脳内でこれが鳴り出した:

「LISTEN1」「LISTEN2」「LISTEN3」をこの順番で聴いたから、直前に聴いた「LISTEN3」のアレンジの雰囲気とキーの上で鳴り出したけど、音形的には「LISTEN2」の 0'30"~ が喚び醒ましたものかも知れない。

で、これの出典を思い当たるに、オネゲル交響曲第3番典礼風』第1楽章の第1主題なのだった。

この動画でいって 0'19" 目の弦。キーが違うし音程関係が微妙に違うけど。

ただ、ここは「molto marcato」ではあってもスタカートではない。ここに貼ったのはカラヤンベルリン・フィルで、スタカートに近い=私のイメージに近いけど、ヤンソンスロイヤル・コンセルトヘボウ管のライヴを聴くともっとゲイトタイムが長い。

 

このベースのフィルインが脳内で鳴り出した:

Led Zeppelin 'Good Times Bad Times' のリフの一部、0'16" 目がまず思い出され、これで納得しかけた。

でももっと、ふだん聴き馴染んでる、最近も聴いたばかりのものの筈、リフというよりフィルインだった筈、ともうちょっと懊悩してみた。

National Health 'The Collapso' だ。0'13" 目。

1音目の es は無いけど。

むろんこの音形はロックにものすごくありふれてる。咄嗟に思い当たらないけど。

 

関連記事:

夢 2023年12月09日

先輩(女性、決然たる性格)の仕事を手伝う。翻訳とその周辺の、誌面4ページほどの。私には無理な仕事内容なので降りるというと、いったん引き受けたことは絶対に守れ、と怒る。やれることがあればやれる範囲でお手伝いする、という話が、いつの間にか、強引に、義務になってる。

「やりません」「やりなさい」「無理なんです」「約束でしょ」「無理なものは無理です」

いつになく主張を通すが、締め切りの迫る仕事で、先輩的に絶対にオトせない重要な仕事なのも判る。

私「ウクライナが専門の友人に振ってみましょう」連絡帳を繰るが彼女(加藤さん)の電話番号が載ってない。私「仕方ない。私がやります」必要な資料を取り出す。

 

雑誌見開きの地が緑色だった。普段は、否応なく巻き込まれる事態に「困る」だけなのだけど、今回は意思をもってつっぱねた。

さいきん、夢から醒めた時毎回必ず、音楽の断片が耳に残っていて、リピートしてる。今日の曲は、静かに漂ってた。譜面書きソフト思うに任せねえ。

カヴァー・ヴァージョン

'I Like Chopin' のタイトルがもし 'I Like Schumann' だったらヒットしてなそう。

小林麻美「雨音はショパンの調べ」の万全なつべが見つからない。ここに貼ったものも、音質が丸く、曲冒頭と末尾が切れてる。今記事で論ずる「サビのコーラスのヴォイシング」を聴くためには問題が無いので、これを貼る。)

ガゼボのオリジナル ver. を初めて聴いた。

サビのコーラスのヴォイシングが、2つの ver. で微妙に違う。

きや「すめはまや」く(小林 ver. の 1'06"、ガゼボ ver. の 1'08")の小節の。

小林 ver. では、このヴァージョンの調 G♯m のスケールに収まってる。

ガゼボ ver. では、いちばん上のパートが「c→h→a」と動いて、このヴァージョンの調 Dm のスケールに無い「h」が出て来るために、一瞬 Am に転調したみたいに聴こえる。

 

Pink Floyd 'Flaming'、Barrett 曲。

この、キーが E とも A ともつかない感が好き。E ミクソリデイアンを途中で A イオニアンに読み替える感じ。

すなわち、E で始まり、曲途中で「あれ? でもキーは A?」と思わせ、でも各コーラス終わり(0'30"、0'50"、1'10"、1'30")は E に終止し、1'30" からの間奏はこのまま E で、最後のコーラス終わり(2'31")だけ、前4回と違って A に終止し、そのまま曲終わりのキーは A。

 

ところが、この曲のライヴを何種類か聴くと、全てのコーラスが A に終止してる。1小節 A を入れたのちに E に戻る。

「E と A を行き来する」というより「A の曲が E から始まってる」感じになってる。

間奏は E。4コーラス目がいったんはっきりと A に終止してから、「ここから間奏」というふうにくっきりと区切られた E の間奏が始まる。私はオリジナルの、直前のコーラス終わりの E がそのまま間奏になだれ込む感、コーラス終わりの E がトリガーとなって間奏が呼び起こされる感、夢の世界が開かれる感、が好きなので、ここも残念。

最初に聴いたライヴが1968年のものだった、すなわち Barrett が抜けて Gilmour が Barrett のパートをやってるやつだったために、「新しい Pink Floyd による旧い Pink Floyd の「カヴァー」なために、こう解釈し直されてるのだな」と思った。

 

ところがところが、1967年09月25日のライヴがあるのを知った。

Barrett 入り。この時点で既に、以後のライヴと同様の変更が行われてることが判明した。

って、リリースもされてる音源なので、周知のもので、私が不勉強で知らなかっただけなのだけど。

何故この改変が行われたのか? 意図を測りかねる。

ことに、オリジナルでは、この各コーラス終わりの E が、オルガンの和音のクレシェンド、ディミヌエンドでことさらに強調されてるので、ここを E とすることにはそれなりに明確な意識があった筈なんだけど。美しいし。

下書き放出(大喜利における下ネタ)

大喜利回答は私のイズムの表明の場じゃないんですよ。

 

以前、私が臆面なく下ネタで回答するというので、ある方が私を「下ネタを好きな人」認定なさったらしく、その後事ある毎に下ネタを振り込んで下さる、ということがあった。

思い付いた回答を投稿するかしないかを決める基準はひとえに、ボケとして優れてるかどうか、だ。下ネタでなかろうと、あろうと。

ユーモアの成就を、私個人の恥や外聞よりも優先させる、のであって、断じて下ネタを「好き」なのではないのだ。

ならばなぜ、時事ネタは NG にしてるのに下ネタは OK なのか、という問題は残るけど。

 

ある時、「4人組といえば」というお題に Genesis 'A Trick Of The Tail' の MV を貼って回答としたことがあった。これをご覧になった相互の方が「Genesis お好きですね」とリプを下さった。

私が普段から Genesis 好きを表明してることをその方がご存じだったからそのリプになった、のではあるが、いや、これ大喜利回答なんですよ!

たしかに Genesis 大好きですけど、それと回答とは無関係です。

大喜利回答を私の好みの表明の場とすることはしない。大喜利に失礼だからだ。

この回答は無論、「Genesis が5人組→4人組→3人組と時期によって編成を変えていったこと」を踏まえてる。プログレ者が全会一致で「本来の Genesis」と目する Gabriel 期の5人組でもなく、最も人口に膾炙したポップ期の3人組でもなく、短期間だった4人組 Genesis

だから「4人組といえば Genesis」がユーモアたり得る。「間違いではない」ところがミソ。

ちなみに私はアルバム "A Trick Of The Tail" は大好きで、"Wind & Wuthering" は大嫌いです。

 

大喜利についてはスタンスがはっきりしてるのだけど、問題は、音楽は私にとってイズムなのか大喜利なのか、だ。(下書きはここで途切れている)

 

だからいい加減にしなさいって: