19'11"~ のヴァースの再現部で、ハモンドとは別に和音を奏でてるの、何の楽器だろう? ソリーナみたいにも聴こえるけど、この曲での Richard Wright の担当は
vocals, Hammond organ, piano, Farfisa organ
となってる。ファルフィサ・オルガンでこういう音色を出せるのかな?
再現部開始と同時に鳴り始め、でも最初の和音の全音符1個のうちにディミヌエンドしていったんミュートされ、8小節目でクレシェンドして蘇る、のが美しい。
20'44"、21'11" の
には、音形と、音域と、音色から、ホルンを聴き取って、気に入ってた。これもファルフィサ・オルガンでやってるのだろうか?
この和音のパートは「清め」に聴こえる。
このパートは、2'57"~ のヴァース最初の登場時には鳴ってない。
文学的・印象批評的に言ってしまうと、曲が進行するうち、疎外・孤独・世界からの隔絶に寒々とした思いに苛まれ、その果てに戻って来るヴァースが「浄化」で注釈される。
たしかに私はこの曲を貪り聴いてた小6当時、このパートのこの音色に差し掛かる時、何も解決されてないしハッピー・エンドでもないこの音楽の、依然寂寞としながらもしかし何かに向かって開かれた明るい諦念を感じてた。そして終末に向かって運ばれる。
今回「ヴァース」と書きながら気付いたけど、この曲には「サビ」が無い、というかヴォーカル・パートがサビを歌わない。
この曲はヴォーカル・パートをもつけれども、断じて「ウタモノ」ではない。インスト曲であって、そこにアレンジの要請からヴォーカルが置かれてる。
たんに長さ的に「曲全体の長さに比してヴォーカルの出番が短い」だけでなく。
Eno 'Sky Saw'、Television 'The Dream's Dream'、サディスティック・ミカ・バンド「四季頌歌」もこの仲間だ。
関連記事: