ミー子

ぉぁああおうぅぅ

National Health 'The Collapso'

私がこの曲を好きなのは、作曲・アレンジし尽くされた音楽だから。

私がカンタベリーの「ジャズ・ロック」を苦手なことには今まで何度か触れたけど、それはつまり「演奏」優先で「作曲・造形」が蔑ろにされてると感じる場面が多いから。

この曲は精緻な「工芸作品」、指物か、寄せ木細工の仲間だ。私の National Health は、Dave Stewart 作曲のこの1曲に尽きる。

 

曲全体としてはコンディミに拠ってる場面が多い中で、主題提示部が「浮いてる」。

すなわち、0'14" からダイアトニックになって、主題の提示は 0'33"。

ずっこけちゃうくらいあっけらかんと判りやすいメロ。それは、①冒頭「dis」= H の「ミ」の同じ高さの音が3つ、最も単純な4分音符(最初の2つはスタカーティシモ)の符割で、「ミ、ミ、ミー」と連続すること、②完全にペンタトニックに拠ってること、③これをギターの単音で、(Phil Miller 固有ではあっても)素直な音色で、やってること、による。メロのモードは、

H のペンタトニック→ Fis のペンタトニック→

B のペンタトニック→ F のペンタトニック→

A のペンタトニック→ E のペンタトニック*1

と、キーは移り変わっても、そのそれぞれの上のペンタトニックで貫かれる。

主題自体は身も蓋も無くとも、この曲のキモは、その「処理」にある。

2'09" で再登場する時にはコンディミになってる。しかも出だしの「ミ、ミ、ミーレミーソー」の音形はそのままの音程関係で活かされてて、つまり主題の設定のしかたがもともと巧みだったということになる。

2'27" ではメロ自体はペンタトニックだが、コード付けがよく判らないことになってる。

3'29" ではリディアン・モード、といっていいのかな。

5'04" で 0'14" のダイアトニックが戻って来て(ここはベース・ソロの尺に充てられてる)、5'33" で 0'33" そのままの主題の再現。

 

4'55" の、曲全体の中でも最もモニュメンタルに聳え立つ瞬間、「ミーレミソーラ」も、もしかすると主題由来?

1'24" のモティーフは、4'36" で再登場するけど、これをことさら「第2主題」と呼ぶべきかどうか。

3'01" や 3'43" のモティーフは、魅力的な造形だけど、ストラヴィンスキーか何かの中に引用元を指摘出来たりするのだろうか?

 

この精緻な曲を、いくつかの例外箇所(後述)を除いて、寸分違わぬアレンジで、ライヴで再現してしまう。

2'10"、スタジオ ver. の 1'11" のオルガンのフィルイン「タカタタータッ」のユーモアが好きなのだけど、ライヴではやってない。この箇所で右手が音色の切り替えに動いてるので、仕方ない。

3'49"、John Greaves が出を1拍間違ってる(スタジオ ver. の 2'51")。

6'30" からの主題の再現の途中で Phil Miller が落っこちるのは、Greaves の暴走に惑わされてのことだろうか?

にしてもここ、Greaves にいったい何が起きてるのか? 尺を超えてソロを続けてしまったのか? 音色の切り替えに手間取ってるし、そのあと弾けてない。アクションの派手さでごまかしてる。

ここでのフロントマンは明らかに Greaves なので、彼に自由にやらせて、派手に振る舞わせるのは、演出として正解ではあるのだよな。

Greaves が落っこち Miller が落っこちても、曲は滞りなく進行する。Stewart のオルガンが曲の構造と音響体を堅実に作ってる音楽で良かったね案件、ということになるのかな。

*1:

コード進行でいうと、英語名で

B  G♯m  F♯  D♯m

B♭  Gm  F  Dm

A  F♯m  E  C♯m

つまり半音ずつ下がってゆく。例えば D♯m は B の「ⅲ」だが、これをⅳと読み替え、そのⅠである B♭に進むことでそうしてる。スムーズな転調。