ここのピアノの C pic.twitter.com/nJ995z4Yog
— ミー子 (@gattomarte0) 2023年9月8日
調律が、全体に下がってるうえに、音域ごとに違う…
「なんてったってアイドル」がト長調なのか変イ長調なのか判らない…
ウェブにあるスコアのサンプルをいくつか見ると全部ト長調だな。
絶対音感が崩れたのです数年前に。
以前は絶対音感に自信があった。絶対の基準があるとすればそれは私自身の感覚だ、ということ。
ところがある時期、事情で、1年ほど音楽から離れた。より正直にいうと「音楽から」ではなく「人生から」離れたのだが。
その隠遁明け、シューマンのあるピアノ曲の耳コピをやった。まず楽器を使わずそらで譜面を書き終えて、打込みのためにキーボードに向かう、という段になって初めて、
全部半音低い
ことが判明した。
その後、世の中の聴き馴染んだはずの曲が悉く調子外れに聴こえることが明らかになっていった。
以来私の中には2つの基準が併存する。狂ってしまった感覚を矯正するというのではなく。
片方には昔から私の中で引き継いで来た感覚の体系が厳然とあり、もう片方には「現実」が厳然とある。
私の感覚が、絶対どころか、如何に当てにならないか、というより如何に社会的に規定されているか。
世の中で鳴ってる音楽に触れつつ、それを「基準」に、「感覚」を無意識裡に常に微調整し保持するもの、それが絶対音感、ということ。
世の中の音をシャットアウトした環境とはつまり、ズレをチェック出来ない、「感覚」と「基準」が諸共に沈下することがあり得る環境、ということ。
私は音楽を「シェアする」ことに熱心ではないかも知れない。私のパーソナルな音楽を、理想的にはひとりで、作りたい。演奏などの「場」を誰かと共有するということは、必要に迫られればやるけど、それを目的にはしない、というか。
音の高さに「標準」を設けることは、音楽を現場で共有する時に必要になるもので、パーソナルのためには、究極それは意味をなさないのかも知れない。
作詞:秋元康、作曲:筒美京平、編曲:鷲巣詩郎、歌:小泉今日子、1985年。
Aメロ歌い出しのコードは、G/C というよりは、Cmaj7(サブドミナント)のコードに d と g(ソとド)の歌メロを乗っけてる、と聴こえる。ここは(序奏でいきなり歌ってるとはいえそれを除いて)実質的に曲の歌い出しといえるが、そのコードがこれ、というのはユニークだ。
「♪なんてったってアイドル」という歌詞に2通りのメロを付けて、サビが2つあるみたいな構成も面白い。
2つ目のサビは序奏でも使われて、つまり「頭第2サビ」。
2つのサビが2つとも、G(トニック)が輝かしく、胸がすき腑に落ちるのも、Aメロでの、凝って、割り切れないコード進行に先立たれてるからだ。
合いの手は、ウェブで歌詞を見ると、
(YOU are an idol)
となってるが、
You, an idol(同格)
としか聴こえない。