ミー子

ぉぁああおうぅぅ

メモ(小澤征爾)

小澤の録音を頭の中で思い浮かべる時最初に出て来るのがこれの 4'32"~ 4'37" の「ずれたタンバリン」なのは私の不幸だ。

「TAMBOUR DE BASQUE」というのだな。

私はラヴェルのオーケストラ曲の演奏の聴き較べを『スペイン狂詩曲』でやる習慣があった。この箇所はそのチェック・ポイントのひとつだった。

 

小澤には何度か触れてるけど、基本褒めてないのだよな…

「(『ラ・ヴァルス』演奏で)他人様にお薦めするのは小澤/ボストン響だったりする。曲全体を通してのテンポ設計とか、勢いとか、なにより所要時間が短めなのがよい。でも小澤/ボストン響の録音はいったいに、分離が悪くて、オーケストレイションを絵解きするのではなく、ブレンドした結果としてのオケの音になってる」

「他人様にお薦めするのは」とは「私自身は聴かないが」。初めてお聴きになる方にはこれをお薦めするのが妥当だけど、曲をある程度知ったうえで、突っ込んで聴くためにはブレーズ/ニューヨーク・フィル、の意。

 

武満の対談で、誰かの西洋と東洋を如何にも安直に接合したような曲を、小澤が取り上げるか好意的に評価するかしてるのについて、「僕のノヴェンバー・ステップスも同じような料簡でやってたのかねえ」みたいに言ってた箇所、対談相手が誰だったかも忘れたし、ちょっと探しようがない。

ある方から「文春の立花隆との対談の可能性が高い」との情報を頂戴した。ありがとうございます。

あるいは、『武満徹対談集・上――創造の周辺』(芸術現代社、1976年)所収の谷川俊太郎との対談に出て来る「この間の国連での音楽会」というのが、同じ演奏を指してるかも知れない。ただ、ここでは作曲者、指揮者の具体的な名前は挙げてない。「ノヴェンバー・ステップス」とも言ってない。

武満徹対談集・上――創造の周辺』(芸術現代社、1976年) p. 123

「ぼくの仲間が作曲したり、ぼくの仲間の指揮者が演奏したりしていて、いつもあんないい気な態度でおれの曲もやってたのか、あのやろうと思ったりしたわけだよ」

 

オケ団員との人間関係構築云々のことは私の物思いの埒外だ。「演奏者に愛される」ことが正しいアウトプットを生むための必要条件かどうか知らない。

録音物でしか知らない小澤だけど、つまるところ彼の音楽づくりの何が優れてるのか、私はピンと来ないままだ。