寝室のエアコン動かし始めの作動音
を聴くたび、脳内で King Crimson "The Devil's Triangle" の 7'52"~ が鳴り出す。
"The Devil's Triangle" について、日本語版ウィキペディア「ポセイドンのめざめ」>「解説」でいろいろ新たに知った。
《英国オリジナル盤のレーベル面では「デヴィルズ・トライアングル」、「マーデイ・モーン」、「ハンド・オブ・セイロン」、「ガーデン・オブ・ワーム」の4曲が単独曲としてクレジットされている。一方、米国盤では「デヴィルズ・トライアングル」が「マーデイ・モーン」、「ハンド・オブ・セイロン」、「ガーデン・オブ・ワーム」の3曲の挿入曲を含むとなっている》
《2013年リリースの40周年記念エディションでは「デヴィルズ・トライアングル」が「パート1」~「パート3」の3部からなる組曲となっている。曲の分数表記がある米国盤の表記に従えば、冒頭から3分48秒までが「デヴィルズ・トライアングル」、続く3分11秒が「マーデイ・モーン」、続く吹きすさぶ風の音から不規則なメトロノームの音へ変化する49秒が「ハンド・オブ・セイロン」、最後の3分37秒が「ガーデン・オブ・ワーム」となる》
挿入曲であるにせよ組曲のパートであるにせよ、多くのタイトルに区切るのは、必ずしも純粋に創作上の欲求から来てるとは思えない。当時の多くのプログレ・バンドが、1曲が長尺で曲数が少ないと印税的に不利だというので、多くの挿入曲のタイトルを付した、あるいは形式上多くのパートに区切った、という話は聞いたことがある。
つまり、どのタイトルが曲のどの部分に該当するか、表現上の大した意味は無いのだと思う。なんしろ私は件の箇所、7'52"~ を「3つのパートから成る "The Devil's Triangle" の3パート目 'Garden Of Worm' の冒頭」と認識してた。
この曲はバンドの初期、『宮殿』フォーマット時からライヴでやってる。ライヴだと曲の終わり方が「火星」まんまだったりするけど、"In The Wake Of Poseidon" のヴァージョンでは、終わり近く、ビートの破壊と、スタジオ作業ならではのコラージュによって、渾沌が現出して、その深まりが極点に達したところで曲終わりとなる。
9'05" あたりで渾沌に向かい始め、9'30" でベースとドラムの拍がズレて、以降はセンツァ・テンポにしか(私には)聴こえない。9'45" から、バンド演奏以外のアリモノの音源の引用が混ざり始める。
いくつかの引用の元ネタがそれぞれ何なのか、検証は済んでるのだろうか? 10'14"~ 10'22" のマーチ、10'38~ 10'45" の弦楽は、クラシック聴者なら言い当てられないとまずいやつかも知れない(私は言い当てられない)。
10'45" の、'The Court Of The Crimson King' の引用箇所につべの再生回数のピークが出来てて微笑ましい。英語版 Wikipedia「In the Wake of Poseidon」>「Content」によると、この引用は xenochrony という技術を使って為されてて、これは Frank Zappa が開発したものらしい*1。
子どもの頃は、ほんのひとかけらの音から、自前のイマジネイションで桃源郷を開くことが出来た。
自分の中に埋まってる桃源郷を喚び醒ますきっかけとしてのプログレ視聴。
例えば "The Devil's Triangle" 終わり間際の、メロトロンのフルートの音色による、ほんの数秒間のグリッサンドの連なり、破壊と渾沌の果てに浮かび上がるそれ、だけからでも。
殆ど「瞬間」に属する音の出来事が強く印象に残り、心象風景の大切な一角となり、私自身の作曲の、ヒントになったり事ある毎に立ち返る拠り所になったりする。
そういう「瞬間」として、例えば「Pink Floyd 'One Of These Days' の 3'22" 目」がある。
この曲は、今視点で1971年発表当時これのどこがどう斬新だったのか推し量るのが難しい曲だし、私個人史でいっても、子どもの頃ここに聴き取ってたものが今時点ではもう聴こえなくなってる。
でも、久しぶりに聴き直して、少なくとも中間部(2'48"~ 3'43")での「音響、その奥行き」に、初めて聴いた時ここに惹かれたことを思い出したし、今の耳でも同様に美しいと思えて、嬉しかった。
ただまあ、子ども時分は「金属質で、かつ蠢いてる」「得体の知れない」「どうやって作ってるのか想像つかない」響きとして、ここが異界への入口に思えたけど、いま聴くと即物的に「ベースかな? リヴァーブが深くて倍音が強調されてる」とか思ってしまう。