アメブロで Rendezvous 6:02 氏からチベット仏教の読経のつべを2つご教示頂いたのが3年前の今日だった。そのうちのひとつがこれ:
こういうタイプの読経を聴くのは初めてだった。というか音楽のこういう在り方を聴くのは初めてで、聴くにも非常に美しいし、作曲を考える重要なヒントにもなった。
といいつつ、私がここからヒントを受け取ったのは、私の誤解のせいなのだけど。
当時私はこういう感想を述べてる:
「このハモりがどうやって作られるのか。最初、カノンもしくは主導者と追従者のコール&レスポンス?と思いましたがそうではない。
どうやら息継ぎの位置が各奏者まちまちで、このことは読経一般にそうだけど、ただこの YouTube の場合、一息のフレーズのうちに音階的に下降してるために、2度音程を含むハモりが生じてる、ように聴こえます」
明らかにこの曲(「曲」と呼んでおく。)の構造を読み間違えてる。これは Rendezvous 6:02 氏が解説くださってるとおり「5拍子系」と聴くべきだ。
私は続けてこのように:
「このハモりは「作られてる」のか「生じてる」のか。ハモること自体が意識化されてる、つまり「演奏」なのか。あるいはこれは飽くまで読経であってハモりはその結果・副産物なのか。
たぶん後者なのでしょう。この在り方には「音楽・作曲・演奏」の立場からも、より本来に近いものとして、憧れます」
憧れます。誤解に基いてだけど。
ご教示頂いたもうひとつは、これ:
冒頭の器楽アンサンブルは、私が「チベット仏教音楽」として思い浮かべる典型に近いけど、ほんとうに強烈。ラグドゥン(超巨大トランペット)の地響きのような低音+数本のギャリン(ダブルリード)はユニゾンというよりヘテロフォニック+鉦や太鼓。
ついでに、同じ時のやり取りの中で私は「'To Be Over' が苦手」といってる。
「それでもイントロとアウトロはわたし的「プログレの奇蹟」のひとつで、ホ長調といえば「'To Be Over' イントロの調」です。私がホ長調を「憧憬と郷愁が綯交ぜになった調」と感じているのはこのイントロのせいです」