ミー子

ぉぁああおうぅぅ

KUWATA BAND「スキップ・ビート」、そしてフレージング

Ⅰ.KUWATA BAND「スキップ・ビート」

るそんべえ氏がアメブロでお取り上げになってて知った曲。

この曲の凄さは、サビのメロの造形、歌詞でいうと「マニア」「ジュニア」の箇所のクロマティックな下行に尽きる、と思った。

もう少し踏み込んでいうと、「サビにおける3つの差異」ということになる。

 

譜例は、サビの1~2小節目と、5~6小節目。

差異① サビ2小節目の「マニア」は、音程関係だけでいうと、サビ1小節目の「割れた」の3音のクロマティックな下行を繰り返してる。

ところが、1小節目では Am 上の「e, es, d」だから違和感ないけど、2小節目ではコードが D7 に進んでる。D7 上の e、つまり 9th 始まり。かつ、そのややイレギュラーなのにもかかわらず、ここでは付点8分音符によって音価を十分に取って念を押すように強調して歌われる。

差異② サビ5小節目は、サビ1小節目の繰り返しと思いきや、より符割が細かく、より音程が幅広く跳躍する。

差異③ サビ4小節目「スケベースケベースケベースケベー」がこの曲のもういっぽうのキモだけど、1~2小節目のメロと好対照を成してる。1~2小節目の造形の濃やかさに対して、4小節目の、乱暴ですらあるメロ。前者が純粋に造形の美しさを問うのに対して、後者は、卑怯な手というか、飛び道具的というか、インパクト全振り。

両者に共通してるのは、「歌詞との組合せで効果を挙げてる」ということ。桑田のメロディ・メイカーとしての天才というのは、つねに「ヴォーカルによって歌われる」メロの発明の才、ということ。

 

本当に、いったい何をどうすれば、こんな造形を思い付くのか。これが降って来た時、「やった!」ってなっただろうな。

ただ、サビだけがとびぬけてポエティックで、Aメロ、Bメロはやっつけな気もする。

 

ギター・ソロが2コーラス目のAメロとBメロのあいだに置かれてるのが、珍しいと思うし、曲進行が中だるみしないということのために有効だ。

 

Ⅱ.オノマトペじゃない語をオノマトペ的に

以前ツイッターで、質問のツイートをお見掛けした:

「メロ先の場合僕はオノマトペを作ってから歌詞をはめていくのですがみなさんはどうやってやってますか?」

私はお答えして:

「私はオノマトペじゃない語をオノマトペ的に当ててゆきます。「たったららりらりたったったーーら」じゃなくて「アッピア街道(かいど)に脱藩パージ」みたいに。」

 

これはつまりフレージングを明示するため。

フレーズを思い付いて、それはインストのフレーズ(歌詞を乗っける予定が無い)で、これを譜面でメモする時、音符だけで書くと、あとで見直した時、いったい何をメモったのか「解釈」出来ない。

なので、フレージングやアーティキュレイションを判るように、スラー、アクセント、スタカート、等々をなるべく克明に書き込む。

そうしてもなお、あとで見直す時、それらの記号による指示を正確に再現出来たとしても、その「意味するところ」は「腑に落ちない」。

もっと具体性ないし肉感性をもってメモするため・これを再現可能ならしめるために、単語や句のもつエクリチュール、つまり「フレーズ感」を援用する。

その際、ふつうにオノマトペ「たったららりらり」では抽象的で、フレーズを記録する能力としては、記号による注釈と変わらない。「アッピア街道に」である必要がある。

 

Ⅲ.再び桑田佳祐

桑田の作曲にあって、フレーズとは、音価と音程と強弱に還元されるものではない*1

歌詞と組み合わさってること。メロのフレージングが語のフレージングによって注釈されたり補強されたりする(ただし、詞先=語のフレージングありきでメロがこれに従う、ということは少なそう)。

ヴォーカルによって歌われること。ことに「桑田の」ヴォーカル、彼の発声と発音と唱法と節回しによって、歌われること。

桑田のメロが「メロディアス」と感じられる時、そうさせてるものは純然たるメロではなくて、上述の要素が一如になったもの。

いっぱんに、ヴォーカルで歌われたメロをインストに置き換えるとキモが抜け落ちる、ということが起きるけど、桑田ヴォーカルこそその最たるものだ。

*1:いやもしかしたら、ものすごく微細にやれば、数値化できてコントロールできるだろうか?