ミー子

ぉぁああおうぅぅ

夢 2023年11月08日

林のほとり。中年男性が1人、歴史家、ないし考古学者、ないし郷土史家。彼から「出土品」もしくは「採集物」を示される。その内部に古代の何かの情報が収められている。私はそれを見るために、今は黒い金属の、全長が15cmほどで、直径4cmほどの球体の部分をもつ姿に変わっているそれの、球体部分を「開ける」のだが、金属の塊、中が稠密に詰まったその「内部」を見るとはつまり「輪切りにする」ことであって、その切断面、1枚の平面しか見ることが出来ない。見ると、1950年代頃の、街並みの中の看板なのか、何かの文献なのか、が見えて、私は「まずった」と思う。これは遺物ではなくて、現代のもので所有者がいて、あるいはこの文献を残した方の子孫が今もご存命で、勝手に採集して来たり、まして勝手に切開したりしてはならないものな筈。これはカプセル型のお墓なのか? 私は「墓を暴いた」のか? にしてもそんな大事な所有物をなぜこんな林のほとりの、野ざらしだし、誰にでもアプローチ出来てしまう状態に放置してあるのか?

 

どこかの場面で中年男性がある女性に言及し、私が「ナギさんですね」と返す。空風ナギさん、ということは男性は高野竜氏?

「輪切り」については、前日にとある SNS で拝見した、Izumi Kurihara 氏の御投稿、Pearl Jam "Pearl Jam" のジャケについての

「なんでこのアートワークにしたんですか?アボカドになにか意味があったり?」って聞いたら「こんなに綺麗に半分に切れることなんてないじゃない、ほぼ奇跡的なレベルで綺麗に切れたから写真に撮っておいたの。それを使いたくなって」という答えが返って来た時は衝撃を受けた。

が影響してる。

「墓を暴いた」についてはあるいは、アイヌのイナウが自然に返るままに置かれている、自然に返ることで完結する儀式の場を、余所者が無知からか悪意でか、蹂躙する、現行の営みを遺物みたいに扱う、ことが連想される。