ミー子

ぉぁああおうぅぅ

下書き放出(「アンビエント」)

嵐になった。風が雨戸を揺らす音がガタガタと大きくて、音楽を聴く妨げになってる。

つまり今私が聴いてる音楽は、自己完結し、環境音を排除することで成り立ってる。

 

現行、音楽ジャンルとしての「アンビエント」が何を指すのか、知らない。

私の中でこの語は従来、以下のような音楽の在り方を指してた。

すなわち、Brian Eno の "Music For Airports" がそうであるように、「環境音と音楽とがお互いの成立を妨げない」という在り方。「ふつうの」音楽が環境音と対立しそれを排除するのと逆。

私個人の場合は、まずもって「環境音に耳を澄ます」ことに関心があるので、そこにさらに「アンビエント」と称して何かの人為による音を付け加えることに意義を認めることを、いったんは躊躇する。でも「アンビエント」を経ることで聴き手の耳の在り方が変わる、ということの意義は大きい。

そもそも環境音を示して「さあ耳を澄ましなさい」といわれて、即座に実行できるわけではあるまい。「アンビエント」はなによりも「聴き方の提示」なのだ。

 

どうやら、現行、ambient といい environmental というと、「音楽作品自体が環境になってステレオ空間で聴くものを包み込む」状態を指すのかな? そう思わせるケースを目にする。

この場合、特定のスタイルを指してて、作品として自己完結して、環境音というか作品自体以外の音を「ノイズ*1」として排除するようにも思える。「ふつうの」音楽作品とその点は同じで、というかそこに含有されてその中の1ジャンルとして「アンビエント」が立ってる、みたいな。

 

私の従来のイメージでの「アンビエント」のためには、殊更それ仕様で作られた音楽でなくとも、そういう用途に供することが出来る場合がある。じっさい「アンビエント」は作られ方の問題である以上に聴かれ方の問題なのだ。

 

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*1:この語も、ジャンル名になってるせいで、扱いが難しいけど。