ミー子

ぉぁああおうぅぅ

Yes 'Time And A Word' (曲)

"Close To The Edge" 以降の Yes を知ってしまってる耳にとっては、初期の、例えばこの 'Time And A Word' という曲のインスピレイションと創意(和声、節回し、アレンジについての)に気付くことが却って難しい。普通のポップ(しかも軟弱めの)に聴こえてしまって。

 

私がこの曲を再評価したきっかけは、1970年当時のライヴ映像を視たことだったのだけど、その動画が今見つからない。どこで視たのだったか。

若い音楽家たちの創意の現場としてのバンド、ということを、甚だ漠然とではございますが、思ったのだった。従来ロック・バンドというフォーマットでそれが可能とは夢想だにされなかった音楽、ということだけど、同時に、バンドというフォーマットだから可能になること、でもある(後述)。

 

「要所を押さえる」断片的動機

この曲全体としての調性を、サビの調である「ロ長調」を以てそれとする。

ヴァースはドミナントなので、「嬰ヘ長調のミクソリディアン」とも聴こえる*1。前半(6小節)が「嬰ヘ長調のトニック」のワンコード(F#)、後半(5小節)に入ると和声の動きが出てくる。

 

で、ヴァース前半では、ベース+ドラムがシンクロする。

「ヴァース前半」は3回ある。

「ヴァース前半」《1回目》(0'19"~ 0'37")

「ヴァース前半」《2回目》(0'53"~ 1'11")《3回目》(0'58~ 1'27")

2つの要素からなる(《2回目》《3回目》の4小節目後半を別として)。

① 頭打ち強打のロングトーン。ベース+バスドラム+クラッシュシンバル。

②「ダダンダダン」。ベース+フロアタム。

《1回目》と《2回目》《3回目》とで、要素の配置が異なる。

《1回目》では、「頭打ち強打」が6小節全部にあるために、「拍子の外枠を明示する」感がある。

《2回目》《3回目》では2小節目3拍目ウラまでベース+ドラムが出て来ない。しかも先行して現れるのは要素②のほうだ。

その結果、これらの要素の意味付け・役割が変わって来る。《1回目》では「フィルインの一種」としての「ダダンダダン」とも取れるけど、《2回目》《3回目》では「ダダンダダンダ―――ン」とひと連なりで「動機」という印象になる。

この「動機」は、リフのようにのべつ繰り返されるものでも、メロとして通奏されるものでもなく、断片的で、要所に現れて、歌メロへの「合いの手」「注釈」として「要所を押さえる」。拍節的にも、拍子の大枠を設えるのではないし、コード的にも「トニック始まり」ではない。「2小節目の3拍目ウラから」「6度(嬰ヘ長調中の「dis」)から」入ってくる。

「6度から入ってくる」! 前述のとおり、「ヴァース前半」は「トニックのワンコード」の個所である。にもかかわらず「6度から入ってくる」!

 

ちなみに、6小節目の「ダダンダダン」は、《1回目》では他の小節と同じ「dis - e - dis - e」だけど、《2回目》《3回目》では「dis - e - e - fis」。

なぜこうなるのか。《2回目》《3回目》の場合、2小節目で「ダダンダダン」を「ダ―――ン」と繋げてひとつの「動機」として考えてるために、6小節目もこれの応用として次の音=「ヴァース後半」の1音目「g」への繋がり方の滑らかさが意識される*2。《1回目》では「ダダンダダン」が「フィルイン」=「楽節の始末」の扱いなために、6小節目でもそういう扱いになってる。

 

で、こういう着想は、バンドという「場」でこそ生まれる、とも思う。ある断片を場に投げ出すと、メンバーがそれを拾って、「即時に」「実際の音として」発展させ、曲の中に位置づける。相互行為の中で思わぬものに発展しもする。

その断片は、孤独な作業の中では、そもそも意味のあるもの、発展の可能性を含むもの、と思えず、破棄されるのではないか。

 

「断片的な動機」は「音数が少ない」けど、'And You And I' のヴァースでの、ベースとバスドラムによる「ドドドド、、ドド」は、音数が少ないも何も「トニック1音だけ」で出来てる。

1'13"~ 2'52"。

で、「トニック1音だけ」で連想するのが Genesis 'Watcher Of The Skies' のベースのリフ。"Foxtrot" は1972年08月の録音、同年09月15日のリリース、"Close ToThe Edge" は1972年04-06月の録音、同年09月08日のリリース*3。時期が重なってるので、直接に影響を及ぼしあった可能性は無いけど、どちらも本来「声部がよく動く」バンドでの共通する現象が、ちょっと興味深い。

 

ポリリズム

今回聴き直して、曲のいちばん最後、繰り返されるサビの途中から入ってくる弦楽の「ミードシドーミードシドー…」(3'54"~)に、ふたつの点で「あれっ?」と思った。

①「ソードシドーソードシドー…」じゃないんだ(私の記憶の中で改変されてた)。3度の「ミ」が入ることで透明度が落ちる。

② 1.5拍単位の反復なので、4拍子とのポリリズムになるけど、1楽節4小節でリセットされる(4'06")。しかも、この際の接続を滑らかにする意図から、1か所「シ」を「レ」に変えてる(↓の赤で囲った音)。

ふたつの「あれっ?」は、ともに私のひとつの「こだわり」から来てる。

こういう楽想は、「透明なもの」「空の高みで鳴ってるもの」なのだ。自然の中や街中の「物音」に由来する。風車の軋む音とか、ガスメータか電気メータの中で回転する何かの部品のたてる反復音*4とか、の模倣であってほしい。ヒトの「作為」も「情」も関わらせずに「機械的に」為されなければならない。上記①②の「辻褄合わせ」、「音楽作品」に組み入れるためのそれによって、この楽想の「意味」が別の、俗のものになってしまう。

いっぱんにポリリズムってそういう「透明なもの」じゃないか。

 

'Roundabout' のコーダでのポリリズムはその点、「機械的」が徹底してる。

あと「空の高みで鳴ってるもの」としての後継は 'Close To The Edge' の最後「ミドラソラドミドラソラド…」ですね。

 

ひとつのノートの中に構造がある

0'28"、1'02"、2'07" のコーラスのアレンジにびっくりする。リード・ヴォーカルのロングトーンを、コーラスがエコーのように引き継ぐ。ひとつのノートの中で、音色が広がり、定位と奥行きが広がる。ノートというものをそういうことをやる場だと捉えてるというのは、驚くべきことだ。

これを、エフェクターではなくコーラスのアレンジとして、やる。上述のライヴ映像の中でも再現してた記憶がある。

これがのちに、'And You And I' の 3'37" 目、「セクション最後のヴォーカルの1音がロングトーンで引き延ばされて、これをメロトロンが引き継いで間奏の最初の音になって間奏になだれ込むアレンジ」になる*5(つべは上掲)。

あるいは Jon Anderson のソロ・アルバム "Olias Of Sunhillow" 1曲目 'Ocean Song' での、「撥弦の各分散和音の最高音とシンセによる主メロがユニゾンで、「撥弦のアタックをきっかけに、これのエコーみたいに、あるいはこれに共振して、シンセの持続音が鳴り出す」と聴こえる」アレンジも、「1ノートの中に音色と定位と奥行きの広がりゆきがある」点が同じだ。

0'42" から最後まで。

太田螢一の人外大魔境』の「魔海サルガッソウ」のイントロを思い出したりもする。これのトラック 2 です:

 

'Time And A Word' は、のちの Yes とは別の世界だけど、同時に、'And You And I'、'Roundabout'、'Close To The Edge' を(私に)連想させるポイントがある。それらの萌芽を成してる、といっていいのかは判らないけど。

 

ところで、つくづくブルーフォードのイン・テンポの感覚に感心する。ため=ソステヌートを保ったまま曲始まりから曲終わりまでイン・テンポを貫く。

クラッシュ・シンバル強打のディケイを1拍の長さでミュートするのは、1'51" と 4'12" の2回。どちらもサビ2小節目4拍目ウラのシンコペイションの位置。基本、これを入れられるのは 1'51" の1か所だけで、ここぞという所を衝いてる。4'12" のほうは、直後のサビ3小節目2拍目オモテにもクラッシュ・シンバル強打があって、1.5拍の間隔で連打されるうちの1打目をミュートしてる、ということなので、単純に同じ手を2回使ってるのではない。

 

囲碁の「布石」

「要所を押さえる」からの連想で思い出したこと。

Japan 'The Art Of Parties'。

「2'25" のハンドクラップは、サビ前のこの位置に入るのはここだけで、0'42" と1'42" には入らない」ということと、「奇数拍目の3拍目だ」ということに、あらためて気づく。

「2拍目」は一瞬のブレイク=休符にせねばならないのであり得ないし、「4拍目」にしたら次の小節の2拍目と近すぎる。

サビのハンドクラップはずっと2拍目。なので「通しで入ってるハンドクラップをサビ前の件の箇所でトラックをオンにするかミュートにするか」という問題でもない。検討を加えたのち、わざわざこの位置に入れてる。囲碁の「布石」みたいなものかな。

*1:当然ヴァースをサビより先に聴くわけだから、「嬰ヘ長調のミクソリディアンの曲なんだな」と思いつつサビに差し掛かって、これがロ長調のアイオニアンなことから逆算して「ヴァースはこれのドミナントだったんだな」と納得する、という順序なわけですが。

*2:じっさい、私は、この箇所で「ダダンダダン」が「ダ―――ン」に繋がる代わりに「ヴァース後半」になだれ込むと感動する。「ダダンダダンダ―――ン」でひとつの「動機」と見る前提があってのことだ。

*3:どちらも英語版 Wikipedia による。資料によって日付にずれがある。

*4:ガスメータの中に空の高みがあるんです。

*5:メロトロンはこの小節のアタマから鳴ってるのだけど、メロを辿る耳にとっては「歌メロをメロメロが引き継ぐ」ように聴こえる。