ミー子

ぉぁああおうぅぅ

メモ(「ガラスの林檎」)

ガラスの林檎

作詞:松本隆、作曲:細野晴臣、編曲:大村雅朗、歌:松田聖子

1983年

 

名曲、名アレンジに違いないんだけど、1か所解せない。ベース・ラインの、0分25秒目、歌詞でいうと「蒼ざめた月が 東から」の「東」の「ひ」の1拍。

 

この曲はヘ長調で、歌い出しのコードが「F/A」。主和音の、ベースが3度。

件の箇所は、「あおざめたつき《がひ》がしから」の《がひ》で2拍の長さ「F/A」に留まるのだが、《が》で「ミ」に進んだベースは、直で「ファ」に行くのではなく、《ひ》でいったん「ド」に下りるべきだ。

 

作曲者か編曲者か、どちらの領分なのかは、私には判らない。

ここは私には、クラシックの和声の心得の無い者の浅知恵、と聴こえてしまう。ヴォーカル・ラインと「3度重複」を起こしてる。そしてこれは「セオリーに適ってない」という形式上の話ではなくて、「マエストーソを損なってる」という問題なのだ。

歌い出し、ベースが3度なのは、目覚ましくかっこいいと思う。でも3度には「使うべきところとそうでないところ」がある。件の箇所は、「3度かっけえ」を、無条件に、それこそ形式的に、ここにも適用してしまった、と聴こえる。

 

エストーソをむしろ避けた、浮遊感を優先させた、のかも知れない。

でも、そもそもこの曲はクラシックの和声由来のコード進行を「記号的に」使ってる*1。ならばその「記号的」を徹底せねばならない。「如何にもクラシック的」であることを徹底すべきで、生半可なクリエイティヴィティを混ぜ込んでポイントを曖昧にしてはならない。

 

この曲はレコードセールスが伸び悩み、制作陣が目標としていた日本レコード大賞の「大賞」を獲れなかった。その理由として、この歌がそれまでの松田の歌の世界と隔絶してたこと、などが挙げられるようだが、もし《ひ》の1拍のベースを「ミ」ではなく「ド」にしてたら「大賞」獲れたんじゃないか?

 

関連記事。「ポップにあるまじき「本格的な」作曲と感じ做すナイーヴな耳を失わぬうちにいちど打たれておく必要のある」「ポップに持ち込むことで効果を挙げるくらいの使い途しか無いものとしての」マエストーソの例を挙げて。

*1:「作曲の細野は制作に当たり、ディレクターからサイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』のような曲を作って欲しいと依頼された」(ウィキペディアガラスの林檎/SWEET MEMORIES」>「制作」>「ガラスの林檎」)そうなので、直にクラシックから、ではないけど。