例えばこの記事
の中で、「シニカルとリリカルが」といってる。
形容詞「シニカル」「リリカル」を名詞として使ってる。文法的に誤りだけど、ここは絶対に「シニシズムとリリシズムが」、「シニカルさとリリカルさが」には出来ない。
なぜ出来ないかはまったく私個人の感覚の問題なんだけど、この私の感覚がどこから来てるか、思い出してみる。
まず、私は漢語において、例えば「この精妙が」という。「精妙さ」ではなく。この「精妙」は名詞ではあってもむしろ「形容動詞の語幹」的イメージが強い。
このやり口を「英単語ないしそれを日本語の語彙化した外来語」の場合にまで適用してしまったのが先の「シニカルとリリカルが」だ、ということなんじゃないか。
ちなみに私の「形容動詞の語幹っぽい名詞を、「さ」を付けずに使う癖」は吉田秀和の影響のはずなんだけど、今咄嗟に吉田の文章中にその例を捜し当てられなかった。
あるいは、小川美潮「Four to Three」の歌詞中の1行
ついでに私のネガティブをかたして
から来てるかも知れない。
ただし、私は当初、この「ネガティブ」を、形容詞を名詞として使ってるものと思ってたけど、のちに negative には名詞の意味もあるんだと知る。
すなわち、手許の辞書に、①否定的言辞(or 命題),否定の返答 ②否定語(句) ③拒否権 ⑥負数(量),負号 ⑦陰電気,陰極板 ⑧陰画、とならんで、④(the negative の形で)(問題の)否定的側面、否定的態度 ⑤否定(or 消極)的性格、の意味が載ってて、小川の「ネガティブ」はこの④または⑤の意味の名詞なのかも知れない。
とにかくここは絶対に「ネガティビティ」「ネガティブさ」には出来ない。
そもそも日本語は古来、形容詞の連体形を名詞として使う。『枕草子』第34段に「葉の色濃きが」ってある。この感覚を受け継いでるのかも知れない。